『訣別の音を聴く~Mさんと終末についての対話~』 を読んでくださり、ありがとうございました。
シグソとは何か
作中に登場した「シグソ伝説」は、千葉県松戸市の一部で語られている(らしい?)話を元にしています。
真偽は定かではありませんが、その話を聞いたとき、私はMさんという架空のキャラクターを通して“介護”と“別れ”について描いてみたいと思いました。
シグソは「お迎え現象」と混同されることもありますが、医学的根拠はほとんどありません。それでもMさんにとっては、“諦める”ための指標として働いたのだと思います。
母を看取る過程で抱えた罪悪感を少しでも軽くしたい―彼女がシグソを信じたのは、そんな“免罪符”を求めていたからかもしれません。
母子2人で孤立した介護生活の中、共依存的になっていったMさんにとって、「どこで手放すか」はとても難しい問題でした。
そこで近所の人が差し出したのが「シグソ伝説」。その目印があったからこそ、彼女は母との訣別に踏み出し、新しい人生へ進むことができたのだと思います。
介護のゴールサイン
海外には「食べられなくなったら寿命」という考えがあります。
医療が発達した現代の日本では、介護のゴールがあまりにも曖昧なため、何らかの“サイン”が必要なのだと感じます。
シグソは、地域でその役割を果たしてきたのでしょう。
私的な体験から
私自身の経験でも、終末期の判断は重くのしかかるものでした。
延命意思もエンディングノートも用意されていなかった身内を見送るとき、本人に判断能力が無い中で決断するのは本当に苦しく、「なぜこんな苛酷な選択を家族(主に子供)にさせるのか」と思ったほどです。
日本の「家族の絆」の崩壊
日本では終末期の話題がタブー視され、宗教や哲学の支えも弱い中、「家族の絆」だけが判断基準になりがちです。
しかし、その絆を支えてきたケアの仕組みは、ジェンダー観や医療の変化、そして老後の長期化によって、もう以前のように機能していません。
かつては50〜60代が寿命で、長期介護はまれでしたが、今は価値観が追いつかないまま、親を看取る中高年がその矛盾を引き受けざるを得ない状況にあります。
各自の選択にゆだねられる
一億人いれば一億通りの介護があり、「これが正しい終末」という正解は誰も与えてくれません。だから自分たちで決めるしかなく、どの選択をしても後悔や罪悪感が完全に消えることはないのだと思います。
「もっとできたのでは」「あの時こうしていれば」―それはどうしても考えてしまうものです。
大切な家族と、どう終末期を迎えるか。
その問いはとても個人的で、しかし避けては通れません。
松戸市の葬儀の民俗学
松戸市では昭和30年代まで、近所同士で出産冠婚葬祭を助け合う文化が残っていたといいます。
2025年9月の松戸市立博物館の企画展「誕生・結婚・死の儀礼」では、そうした民俗的な資料が展示され、今回のマンガを考える上での重要なヒントにもなりました。
お読みいただき感謝します











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